マスコミが報じる「強行採決」とはなにか、○eald’sのお馬鹿さんのいう「数の暴力」、○主党の「国民の総意を反映していない」とは同様な意味かを考えてもらいたい。 そもそも、議会は選挙で議員を選んでいるはずだ。 今回の安全保障に関しても選挙の時には有権者に問われたはずだ。 議会の多数派が賛成で決めたものは間接的とは言え、正当な手続きで民意が反映されたことである。 立法府は正しく機能しているではないか!
国会前のデモ、野党議員の行動には失望した。 自分たちが政権を取れなかったからといってあのような方法で反対するのは理に反する。ましてや、採決の場から退席なんて選ばれた人のやることではない。
野党はまずは政権を獲得してからやらねばならない。 ナゼに共産党は政権が取れないか、民主党や社民党は指示が伸びないかを真剣に考えた方がいい。 まさに長谷川氏が下記しているとおりである。
長谷川幸洋「ニュースの深層」
「安保攻防」的外れな議論を続けた野党は、今こそ自省せよ! 〜戦争法案・徴兵制・対米従属 どれもミスリードだった
2015年09月18日(金)長谷川 幸洋
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45392
数がすべてではないが、感情論でいいはずもない
安全保障関連法案をめぐる国会論議が大詰めを迎えている。与党が衆院で60日再議決ルールを使える多数を確保し、参院でも過半数を握っている以上、野党がどう抵抗しても、いずれ法案は成立するだろう。野党や反対派の主張と行動に反省点はなかったのか。
野党や反対派から見れば、賛成派の私に「反省はないのか」などと言われれば「余計なお世話だ!」と反発したくなるかもしれない。いやいや、そう言わずに少しは耳を傾けてもらいたい。私だって「多数さえあれば与党が何をしてもいい」などと思ってはいないのだ。
できれば、野党に建設的な議論をしていただいて、日本により良い安全保障環境を整えるべきだと思う。だが、残念ながら野党も国会を取り巻くデモ隊も、ナイーブな感情論としか思えない主張ばかり声高に唱えてきた。
典型は、社民党の福島瑞穂副党首が2015年4月の参院予算委員会で初めて唱えた「戦争法案」という法案に対するレッテル貼りである。自民党は直ちに撤回を要求したが、この言葉はその後も独り歩きして、デモ隊のシュプレヒコールでも定番になった。
いったい、いまの日本が本当に自ら他国に戦争を仕掛ける、とでも思っているのだろうか。福島氏は政治家だから、政府与党を攻撃するために好都合な言葉は大げさでもデマでもなんでもいい、と思っているかもしれない。
だが、安倍晋三政権が戦争をしたくて法案を準備したかのようなストーリーを信じる国民は、けっして多数ではない。常識ある人々は「戦争法案に反対」というプラカードをテレビで見かけるたびに「何をバカなことを言ってるのか」とシラけた気分になったはずだ。
レッテル貼りはまだある。「徴兵制になる」という話である。これは民主党が言い出した。安倍首相は憲法が禁じた苦役になるから、絶対に徴兵制にはならないと反論した。それもあるが、そもそも徴兵制は集団的自衛権よりも個別的自衛権に執着した場合の論理的、政治的帰結ではないか。
反対派の論拠がころころ変わった
スイスがなぜ徴兵制を敷いているかといえば、集団的自衛権に基づく他国の支援をあてにせず、個別的自衛権のみで自国を守ろうとしているからだ。自国を自分の力だけで守ろうとすれば、志願制だけで不十分となれば徴兵制にならざるをえない。
これに対して、国連憲章で認められた集団的自衛権に基づき、他国との同盟関係によって自国を守ろうとするなら、いざとなったら他国の支援をあてにできるから、徴兵制によらずとも必要な自衛力を確保しやすくなる。世界最強の米国と同盟を結ぶなら、なおさらだ。
「日本が徴兵制になる」などという話はマンガの世界で通用しても、現実には荒唐無稽としか言いようがない。バカな脅し文句を持ち出して安倍政権に痛打を浴びせられたかといえば、狙いとはまったく逆に、民主党の幼稚さの証明になってしまった。
「戦争法案」と「徴兵制」の2つだけで、多くの国民は野党と反対派の知性と政治に対する誠実さを疑ったはずだ。はっきりいえば、いかがわしさを嗅ぎとったのである。戦争をしたい人や徴兵制にしたい人が政権を握るのを許すほど、国民は愚かではない。そんなことは国民自身がよく分かっている。
とはいえ、国民の不安感を反映した議論がなかったかといえば、そうとも言えない。1つは「アメリカの言いなりになる」という話である。
そもそも米国は東アジアの平和と安定を自分の主導権によって維持したいと考えている。日本の自衛隊を活用しようとしているのは、米国の力不足を補う限りにおいて、である。だから日本の核武装は絶対に認めない。そんなことを認めたら、日本が米国の手のひらから滑り落ちて、独り歩きしかねないからだ。
以上は米国の事情である。だがそのことと、日本が米国の事情を唯々諾々と受け入れるかどうかは、まったく別の話だ。日本は日本の国益に照らして、どう平和と安定を守るかを考えなければならない。当たり前だが、どの国も自国の戦略がある。
野党や反対派が唱えるのは「今回の法案を通したら米国の言いなりになる」という話だった。だが、真の問題は「米国の言いなりになる」かどうかではなくて、日本の平和と安定をどう確保するか、だったはずだ。
日本の危機は目の前にある
日本が自分で決めた戦略として、結果的に米国と歩調をそろえることはある。だがそれは、あくまで日本の戦略である。たとえ「米国の言いなり」のように見えたとしても、それが日本にとって得ならば、何の問題もない。
それは、ちょうど若い学生が父親の言いなりのように見えたとしても、学費を負担してもらったほうが得なのと同じである。米国が軍隊を日本に派遣して、いざというときに血を流して日本の国と日本人を守ってくれるなら、日本にとって得なのだ。
たとえ見え方の問題でも「言いなり」がどうしても嫌というなら、日本は米国と縁を切って自分の力で日本を守れるのか。日米安保条約を破棄して日本が独力で日本を守るのが可能かどうか、野党はついに国会で本格的な議論をしなかった。
それは安保破棄などと言い出せば、それこそ国民からそっぽを向かれてしまうことを野党が知っているからだ。日本共産党は安保破棄の立場だが、その共産党でさえも安保条約と集団的自衛権の関係について突っ込んだ議論を避けてきた(6月26日公開コラムなど、http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/43908)。
日本は安保条約の下で米国と同盟関係を結びつつ、戦後の平和と安定を保ってきた。安保条約は日本だけでなく、極東(韓国と台湾、フィリピン)の平和と安定にも責任を負っている(第6条)。つまり、日米安保条約は日本と米国が協力して、極東地域の平和と安定を維持する枠組みである。
朝鮮半島で危機が起きれば、日本は自分が攻撃されていなくても、米国軍隊に自国領土を基地として提供することで朝鮮半島の平和と安定を守る。戦後の日本がなぜ、そういう選択をしてきたかといえば、朝鮮半島危機が日本の危機に直結するからだ。実は、これこそ集団的自衛の枠組みにほかならない。
いま中国は尖閣諸島だけでなく、南シナ海で7つの岩礁を埋め立てて、3つの滑走路を建設しようとしている。遅くとも2018年には完成する見通しだ。南シナ海のど真ん中に中国の軍事基地が完成すれば、航行の自由が脅かされる。それも日本の危機につながる。
南シナ海は日本に原油を運ぶ重要なシーレーンだ。先に改定された日米防衛協力の指針(ガイドライン)は安保条約に基づいて、日米が協力して中国の無法行為を監視しようという枠組みである。
そのガイドラインを実効あらしめるために整備するのが今回の安保法制なのだ。逆に言えば、安保法制が見直されなければ、ガイドラインの核心部分は無効化されてしまう。それは中国の無法を許し、ひいては日本の危機を招く。
野党は全員辞職の覚悟を見せよ
枠組みの根本にある安保条約を破棄するなら、日本は単独で中国の脅威に立ち向かわなくてはならない。それができるかといえば、残念ながらできない。中国は人口で日本の10倍、国土で25倍、経済力で2倍、毎年の軍事予算で4倍もある大国であるからだ(7月31日公開コラムなど、http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/44454)。
だからこそ安保法制を見直して、日米同盟の強化が必要になる。「米国の言いなり論」とは、日本がどうやって国を守るのかという根本論を無視して、安っぽい感情に訴えかけた扇情論である。それで安っぽくなったのは政権ではなく、野党の側だった。
扇情論ではないというなら、野党はどう日本を守るのか、自分たちの安保戦略を示す必要がある。共産党は曲がりなりにも安保廃棄を唱え首尾一貫している。彼らは安保廃棄だけでなく自衛隊廃棄も唱えている。彼らはたしかに首尾一貫しているが、それは首尾一貫して根本から間違っているにすぎない。
多くの憲法学者が唱え、左派マスコミが便乗している「違憲論」についても触れよう。違憲かどうかを判断するのは、憲法学者の仕事でもマスコミの仕事でもない。それは最高裁判所の仕事である。
いずれ違憲論争は裁判所に持ち込まれるだろうが、最高裁は砂川判決ですでに明快な判断を示している。それは安全保障のような重要問題は一見、明白に違憲でない限り、最終的には国民の判断に委ねられている、という結論だ(6月12日公開コラムなど、http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/43719)。
私は今回の法案が成立後、裁判所に持ち込まれても、最高裁は同じ判断を示すと思う。
最後に野党の戦い方について。野党は最後の局面でどうするのか。採決に反対投票するのか、それとも議場を退出して棄権するのか。こんな重要問題で棄権は許されない。
それは国民から付託された国会議員の職務放棄である。棄権するくらいなら、ぜひ辞職してもらいたい(7月17日公開コラム、http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/44226)。
反対する野党が全員辞職するなら、もしかしたら、今国会での採決は先送りされるかもしれない。改めて言うが、全員辞職で反対こそが、野党の最強戦術である。