福岡の町で朝を迎えた。朝って、どこ町でもいいものだ。ホテル日航博多も古手のホテルになった。しかし、中国人宿泊客、多いなあ。
今晩泊まるホテルに荷物を預けて(どうせ今日のチェックインは深夜だ)、平尾に住む「博多のお母さん」ことK島さんを訪問する。が、住吉のバス停前に同級生のクリニックが再開しているのを発見し、バスを降りる。 そう、火事で大勢を亡くしたあのA先生のところである。 ご両親もあの火災でなくなったし、大変だったのだが、お父さんの代から地域で慕われていたからこそ、皆さんに背を押されて再開された、と風の便りには聞いていたが実際に目にするととてもうれしかった。同窓会で渡そうと思っていたメッセージとちょっとした気持ちを渡したくて、突入。 いきなりだったけど、A君は出てきてくれた。他の患者さんやらの目もあるし大きな声では話ができなかったので、「ご無沙汰。おめでとうと言ってはいけないけれど、復活、よかったね。嬉しいぞ」とだけ言った。
「ありがとうね」としか彼は言葉少なだったけど、気持ちは言わなくてもわかる。お互い、英語もしゃべれずテキサスの大地で戦った戦友だから。
博多のお母さんは待ちかねていた。 実は自分も前回、ハチを連れてきていたから言いたいことも言えなかったけれど、今回は言いたいことが口をついていっぱい出てきてしまった。不覚にも泣いてしまった。 よくよく考えてもみれば、この人がある意味自分を最もよく知っている人かもしれないのだ。それくらい、影響があった人なのである。
自分はあのココロの病と離婚ですべてが無くなってきたのだ。今ある命は再生した二つ目の命だという。だからすべてが輝くし、うまくいくのだ、とか。元カミさんとムスメは放っておけ、と。もはや彼らとは袂を別ったのであるから、向こうから寄ってこない限りは近づくこともないとアドバイスをもらって吹っ切れたように感じた。
4時間余り、飯も食わずに話をして辞去した。でも心は満たされていた。
やおら東片縄で開業している歯科医の同級生を訪ねて大橋駅に向かう。西鉄電車も久しぶり。大橋の駅界隈はそんなに変わっていなかったが、那珂川町はずいぶんと開けたねえ。 歯医者のA君は大柄の熊みたいな体なのだが、それが背を丸めて子供の葉を治療している姿はほほ絵香椎が誇らしくもある。口腔清掃をしてもらって辞去する。
マリンメッセで行われた西南学院の合同同窓会は圧巻であった。4500名もの参加者。各界で名を成し遂げた先輩、活躍する同級生諸氏、また後輩諸君とこの誇り高い学校で人生を育めた幸運に感謝し、感動した。100年って長いようで短い。そんな中で栄光の一端を担えたことは誠に誇らしい。 30年ぶりに会う同級生も多かった。変わらないやつ、変わったやつ、いっぱい来た。
会場を出たところで恩師のU先生ご夫妻に会う。幸運である。U先生のご母堂は私の幼稚園の先生でもあった。いわばここでも私の多くを知る人に巡り合えた。神はこの世にいましたもう。この出会いに感謝する。
卒業年次だけの2次会は盛り上がったな。今の西南は出来る子の学校だけど、我々のころは県立を落ちた「落ち武者」の集団だった。人生の黒歴史、とまで言う奴もいまだにいる。しかし、今から見ればきつかったあの頃があるから今があるのだ。人生ってそんなものだ。50歳にもなれば先より振り返ることが多くなる。振り返って後悔が多いなら振り返らないほうがいい。でも、
振り返って懐かしめて、明日への力になることもあるのだ。
歯医者のA君、中学から同級のK君と大名から天神まで歩く。いろんな話をした。長い人生だもの、失敗を乗り越えたやつには独特の強さがあるし、成功をつかみ取ったものにも強さがある。そんな素晴らしい友人たちと一期の出会いができたことにとても感謝した。