この話はもう現実化しているといってもいいでしょう。いまや国内市場がシュリンクしているため、海外市場で稼ぐのが必要な日本企業が大半。そんな中、商社や一部の会社を除けば、マネージャークラスの人材で海外でやっていける人を抱えている会社は相当限られている。 よしんばそういう人がいて海外に出したとしても、日本側でその人が何をやっているか現地で確認出来ない。しゃべれる、と言うことではなくて、英語で何が出来るか、と言うことが労働市場では問われるわけで、もはや英語が出来るだけで職を得ることは難しくなっていると言ってもいい。
「語学能力+実務能力」が必要となっているわけで、日本で生きていくこともこの先、この二つがかぎになってくるだろうと思う。
小林慎和「海外で起業する前に知っておきたかったこと」 日本人みんなが英語が話せると社会はどう変わる?
https://courrier.jp/columns/47630/
Text by Noritaka Kobayashi
小林慎和 大阪大学大学院卒。野村総合研究所、グリーを経て、2012年に起業。現在、Diixi社とYourwifi社のCEOを務める。ビジネス・ブレークスルー大学准教授。シンガポール及びクアラルンプール在住。twitterアカウントは@noritaka88ta
2016.4.4
ケニアの首都ナイロビ。そこには、アフリカで最大のスラム街の一つ、キベラがあります。大きいと言っても広さは2km四方程度ですが、その小さな街に100万人ほどの人たちが住みついていると言われています。
ほとんどの家は土壁、屋根は藁葺のようで、広さは2mから3m四方程度ですが、そのなかで4〜5人が暮らしています。
昼間はまだ大丈夫ですが、仮に夜、その街を歩こうものなら、たちまち物取りにやられます。昼間でも日本人1人で歩けば、スラム街の住人に取り囲まれてしまうような場所です。
私は2009年にそのナイロビに滞在していました。ここを訪れたのは、BOPと呼ばれる年収3000ドル以下の貧困層に対するビジネス調査のためです。BOPとはBase of Pyramidの略。3000ドルという貧困層相手ではビジネスとして成立しないのではないか。それが一般的で直感的な答えだと思います。
しかし、この層は地球上で40億人以上存在します。そして彼、彼女らすべてが救済の対象では決してなく、この層をターゲットにしたビジネスもさまざまな可能性を秘めています(詳しくは、私も執筆を担当した共著『BOP 超巨大市場をどう攻略するか』をご参照いただければと思います)。
そのBOPのスラム街の案内のためにタクシードライバーを1日雇いました。そのタクシードライバーの言葉が今も印象に残っています。スラム街を案内しながら、彼はこう言いました。
「俺は英語がしゃべれる。だから普通のドライバーとは違う。英語がしゃべれれば、給与は3倍になる。さらに稼げば、次は外資ホテルの接客担当や、旅行向けのエージェントや、海外とやり取りする仕事につくことができる。年収はさらに倍になる。ドンドン稼ぐんだ」
同じ時期、ジンバブエのビジネスマンと議論したことがありました。その中で彼は言いました。
「日本は世界第2位の経済大国だけど、みんな英語がしゃべれないんだって? どうやってビジネスしてるんだい?」
アフリカなどの新興国の人たちは、英語を活用しない経済が存在することを知らないのです。自国語だけでは、極端な話、物々交換しかできない。日給が5ドル程度の職にしかありつけない。それがごく普通の価値観なのです。
日本に生まれたという幸運
英語がなくとも、たいした能力がなくとも、大学を卒業したら初任給20万円程度が可能になる。長年勤めれば年収500万円が見えてくる。大企業であれば1000万円も可能でしょう。英語がまったくできなくとも、1000万円の年収が可能です。
英語ができなくとも年収1000万円に到達可能な国は、この地球上でもかなり希有なのではないでしょうか。
ただ一方で、日本語しかしゃべれない強みが日本にはあります。もし仮にすべての日本人が英語を話せるようになったとしたらどうなるでしょうか?
実は、低収入の仕事というのは、さらに低収入になる可能性があります。なぜなら、同じ仕事を、英語を話すことができるアジアの人たちに頼めるようになるからです。誰しもが英語を話せるのであれば、英語しか話せない人材をマネジメントできるからです。
そうした日本のなかでは高い収入が望めない業務なのであれば、世界中の誰でもできる業務なのではないでしょうか? 日本語が話せない人材でも雇えるのなら、日本人の単価の半分で働く人がアジアにはいくらでもいるのです。
Upworkというサービスがあります。oDeskという名前で2005年に始まったクラウドソーシングサービスの先駆けです。
クラウドソーシングサービスとは、仕事を頼みたい人とそれを受けたい人(主にフリーランス)のマッチングを提供するものです。今では日本にも類似のサービスがいくつかあります。
私も、ECサイトで活用する決済機能を新たに追加したいというプログラミング業務を発注したことがありますが、要望をこのサイトに投稿すれば、それをいくらで、いつまでに仕上げられるかを書いて、世界中のエンジニアが応募してきます。
もちろん、Upwork上には英語で仕事を依頼する必要があります。どのような依頼であれ、ひとたび投稿すれば、世界中から応募がまたたく間にやってきます。
インド、バングラデシュ、チェコ、カナダ、パキスタン、アルゼンチン、南アフリカ……。掲載から1日も経てば、世界10ヵ国以上から手が挙がってきました。彼らの提示条件も時給5ドルから25ドルなどさまざまです。
なかでもパキスタンやバングラデシュのエンジニアは、「時給5ドルで3日で終わる。俺に発注してくれ。こういう業務なら何度もやったことがある。信頼してくれ」と積極的です。ただし、日本からは誰も応募がありません。
日本のサイトで募集してみたら
私は日本の類似サイトにそれと同じ依頼を「日本語」で投稿してみました。応募が届くまでに少し時間がかかったうえ、そこに書かれたコメントは「類似の経験はないので、自信はないですが、2週間ほどいただければなんとかなる気がします」という消極的なもの。時給も2500円を要求してきます。もちろん、この日本のサイトでは外国人の方からの応募はありません。
英語を話す人材の時給は1ドルから数千ドルまでさまざまです。そして世界中の国にいます。対応できる業務内容ももちろん多岐にわたります。圧倒的に裾野が広いのです。
たとえば、いま日本で50万円かけて発注している業務があったとします。発注者が英語での業務発注に慣れているのであれば、同じ内容を半分の時間、半分の費用で実現することができると思います。さらなる圧縮も可能なはずです。
日本語しかできない発注者がいるから、日本語しかできない人材が差別化され得るのです。
この日本に生まれた幸運を皆さんお気づきでしょうか?
ひと昔前、オフショア開発への転換が盛んに行われたことはご存知の通りかと思います。中国の大連、ベトナム、インド、フィリピンなど世界中にオフショア開発を請け負う企業がいます。
なぜ彼らに頼むのか? その答えは明快で「安い」からです。安い割に品質が良いからです。
単純作業の工程が大量にある。ならば、大規模な業務委託が可能になります。規模の経済を効かせて安価に大量発注するわけです。いまはこの業務委託の細分化、個人化が進んでいます。
以前は、小さな業務委託を頼む相手を世界中から探すのは至難の業でした。それを探す時間コスト、コミュニケーションコストを考えた場合、自国の、いや自分の街にいる事業者へ発注するのが常でした。
しかし前述したように、今は1日で見つかります。それにかかるコストは限りなくゼロに近い。業務内容の英文をサイトにポストし、眠りにつくだけです。翌朝には依頼できる事業者が見つかるのです。
Upworkのようなサービスの場合、ウェブサイト上のやり取り(通常チャットベースのコミュニケーション)のみで仕事の発注を決めます。つまり、それぐらいのコミュニケーションでも発注できるほどやることが明確な仕事が基本となります。さらに、業務内容を明確に規定できさえすれば、複雑な業務であっても委託可能です。
あらゆる仕事は、それに対応可能な人のなかで、最も単価が安いほうへと流れていきます。
英語でやり取りできるのであれば、世界中から最も単価が安く、品質が良いものをいともたやすく探し出せるのです。そこには日本にある最低時給907円(平成27年10月公表の東京都の最低時給)というものが存在しません。
私たちのライバルは、いつのまにか、インドの田舎の村、アフリカのサバンナ高原が見える民家、チェコの古民家でルームシェアしている若者たちなど、世界中に散らばって存在するようになっているのです。