3日休みました。 躁鬱になってから無理矢理旧配偶者に連れて行かされた沖縄以外では、自分が行ってみてきたいところにはじめて行って来ました。3年ぶりくらいかな? おかしくなってから余市に行ったことはあったけど、アレは旅じゃななかったですね。 苫小牧の知り合いのスナックで飲み倒して、翌朝、余市のニッカのディスティラリーに行って、帰りに小樽の寿司屋で飲んで...逃げて酒に溺れてきた旅でした。
今回はJTBの旅物語でツアーで引き回されてきました。 あちこち見て歩くのは性に合わないようで一箇所に何日か留まってあちこち見て回る方が向いているみたいですね。
1日目:東京>名古屋>気比の松原>舞鶴の引揚者記念公園>宮津(1泊)
2日目:宮津>天橋立>伊根の舟屋>出石>城之崎温泉(1泊)
3日目:城之崎温泉>香住>餘部鉄橋>姫路城>新大阪>東京
気比の松原:
日本3大松原(虹ノ松原、三保の松原、気比の松原)と3つ見ましたが2番目にしょぼい。 小さい頃見た虹ノ松原が一番かなあ、と。 どっしりした太い松が少ないんですね。 松くい虫の被害で全国的な傾向なんですがしょぼかった
舞鶴:
かっての日本海軍の3大軍港(舞鶴、横須賀、佐世保)のひとつ。米軍が居座っていない唯一の軍港なので、昔の風情が残っています。 ここまで命からがら引き上げて亡くなった方も多いとか。 戦争は国家が行うものですが、被害はいつも国民、というのは、広島、長崎、千鳥ヶ淵、そしてここ(シベリア抑留)に表せ尽くされているともいます。 国には責任を取ったのか、と感じるところです。 戦争はしないがいいに決まっています。しかし、戦争が忌避できなかった、負けた、そのとき国家は犠牲を強いた国民に責任を取るべき、と思います。 戦後は終われなかった、そう思いました。
天橋立:
学生の頃に来ているので、20年ぶりです。随分公園として整理されて綺麗になりましたが、かつての自然を感じる部分は減ったように思います。手前の知恩寺でお守りを、たいがいのもとい世人j差でおみくじを引きました。 おみくじは「吉」布袋様が付いて来てくれました。
伊根の舟屋:
遊覧船には乗らず、伊根の集落を見て歩きました。地元の故老が、2件しか残らなかったほぼオリジナルの舟屋の中を見せてくれました。中は吹き抜けで、立派な垂木の造りで和船の使用前提でした。やはり過疎のため姿を換え、それでもダメなら消えていくそうです。 世の習いとはいえ残念です。
城之崎温泉
城之崎荘とい旅館の桜の間で一泊。7つの外湯のうち、まんだらの湯、鴻の湯、御所の湯、一の湯の4つ。ここはどこも湯が熱い... しかし、下駄をカラコロ言わせて浴衣で外湯をまわるのは気持ちが良いですね。 熱海ほど寂れておらず、活気があります。 麦藁細工にびっくり。 もはや工芸品...
夕食でちゃんとカニはいただきました(笑)
餘部鉄橋:
山陰本線最大の難関だった鉄橋。見上げるような高さ。 明治にこれが出来ていたとは驚き。香住>餘部は山陰線で渡りました。 隣では新しい橋脚を作っていました。全てが置き換えられるわけではなく3本の橋脚は残るとか。 それでも惜しいですね。 鉄橋はもはや風景の一部であり、鉄橋がなければ風景は成り立ち得ないような、歴史が景色を作っている感じでした。
餘部の駅は急なつづれ下りの天辺にあり、それが駅の存在を誇示しているようでした。
姫路城:
40年間余り、新幹線の中から見てきたのですが、今回初めて天守閣へ上りました。 良い眺め。大変な努力で作られ、大変な努力で維持されてきたお城でした。 岐阜の犬山城の大型版。6層の天守閣の天辺にはお社がありました。
餘部鉄橋通過中(車内より)
餘部鉄橋外観
天橋立
姫路城
それにしても帝産観光の立花ガイド、太田運転手、JTBの加藤添乗員にはお世話になりました。
立花ガイドの話術は素晴らしかったです。 小学校以来だね、あんなスゴイガイドに遭遇したのは...
★旅行中の睡眠★
9/27
何回か目が覚めてよく眠れず、やや沈み気味です。
9/28
無意識のうちに起き上がって眠っていました。予定よりも早く起こされてしまいメンタル、体調とも不安定です。
9/29
目は覚めませんでしたが睡眠時間が短いので寝不足感があります。
★旅行中の夢★
9/28
体調が悪いので医者に行ったら、大腸で妊娠していると言われていろんな検査を受けた。